今日も我が家のゴールデンレトリバー
前から読んでも後から読んでも「おれはれお」のれお君のブログに来ていただきありがとうございます。
ゴールデンレトリバーのれお君と花の写真だけのブログですが、最後までご覧いただければ幸いです。(^O^)
ブロガーの皆さんは置手紙かblogramに足跡を残していただけたら、また訪問させていただきます。
今日の我が家のゴールデンレトリバーれお君ブログは番外編です。 先日、吉備津神社の氏子・崇敬会研修旅行で諏訪大社の正式参拝(一泊二日)に参加しました。 今回はその3で諏訪大社下社春宮参拝と万次の石仏です。
諏訪大社下社春宮はJR中央本線下諏訪駅から北西へ約1km、秋宮から西へ1kmの位置で旧中仙道沿に鎮座します。上社へは諏訪湖を隔て約13kmです。
社頭から真直ぐ800m程伸びる道路はかつては春宮の専用道路で、下社の大祝金刺一族を始め多くの武士達が流鏑馬を競った馬場でした。
途中の御手洗川に架る下馬橋は室町時代の建立ですが、建築様式は鎌倉時代のもので1730年代の元文年間に修築されましたが、下社では最も古い建物で遷座祭の折に神輿はこの橋を渡ります。
入口の御影石の大鳥居は万治二年(1659)建立と推定され、境外にある万治の石仏と同じ作者と言われます。
神楽殿と拝殿、左右片拝殿及御宝殿と続く建物の配置は秋宮と同じです。神楽殿は修改築が幾度となくなされています。
春宮と秋宮の社殿の建替が諏訪藩に依って計画された時に同じ絵図面が与えられたと見え、大きさこそ違いますがその構造は全く同じで、春秋両社の建築は彫刻に於て技が競われております。
春宮の社殿は地元の宮大工柴宮(伊藤)長左衛門が請負い、秋宮より後から着工して一年早く安永九年(1780)に竣工しました。
御宝殿は上下社共に三間四方で、方三間の神明造りと言います。
下社では寅年と申年の左右の御遷座祭の他に半年毎に春宮と秋宮の遷座祭が執行されます。
春宮は杉の木を、秋宮は一位の木を御神木として拝しております。
神楽殿の西の建物が筒粥殿、その西の清流は砥川です。川の中にある島は浮島と言い、どんな大水にも流れず下社七不思議の一つです。
お社は浮島社と言い、清め祓いの神を祀り六月三十日の大祓式、夏越の祓いはここで行ないます。
鎌倉武士が御射山の祭典に参列する時まずこの川で身を清め八島高原へ登山したと伝えら れます。
参考 諏訪大社さんHP
今日のれお君は春霞の日の散歩のれお君です。暖かくなって朝の散歩でいつもは見えている吉備津神社が霞んで見えない日があります。
前から読んでも後から読んでも「おれはれお」のれお君のブログに来ていただきありがとうございます。
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今日の我が家のゴールデンレトリバーれお君ブログは番外編です。 先日、吉備津神社の氏子・崇敬会研修旅行で諏訪大社の正式参拝(一泊二日)に参加しました。 今回はその3で諏訪大社下社春宮参拝と万次の石仏です。
諏訪大社下社春宮はJR中央本線下諏訪駅から北西へ約1km、秋宮から西へ1kmの位置で旧中仙道沿に鎮座します。上社へは諏訪湖を隔て約13kmです。
社頭から真直ぐ800m程伸びる道路はかつては春宮の専用道路で、下社の大祝金刺一族を始め多くの武士達が流鏑馬を競った馬場でした。
途中の御手洗川に架る下馬橋は室町時代の建立ですが、建築様式は鎌倉時代のもので1730年代の元文年間に修築されましたが、下社では最も古い建物で遷座祭の折に神輿はこの橋を渡ります。
入口の御影石の大鳥居は万治二年(1659)建立と推定され、境外にある万治の石仏と同じ作者と言われます。
神楽殿と拝殿、左右片拝殿及御宝殿と続く建物の配置は秋宮と同じです。神楽殿は修改築が幾度となくなされています。
春宮と秋宮の社殿の建替が諏訪藩に依って計画された時に同じ絵図面が与えられたと見え、大きさこそ違いますがその構造は全く同じで、春秋両社の建築は彫刻に於て技が競われております。
春宮の社殿は地元の宮大工柴宮(伊藤)長左衛門が請負い、秋宮より後から着工して一年早く安永九年(1780)に竣工しました。
御宝殿は上下社共に三間四方で、方三間の神明造りと言います。
下社では寅年と申年の左右の御遷座祭の他に半年毎に春宮と秋宮の遷座祭が執行されます。
春宮は杉の木を、秋宮は一位の木を御神木として拝しております。
神楽殿の西の建物が筒粥殿、その西の清流は砥川です。川の中にある島は浮島と言い、どんな大水にも流れず下社七不思議の一つです。
お社は浮島社と言い、清め祓いの神を祀り六月三十日の大祓式、夏越の祓いはここで行ないます。
鎌倉武士が御射山の祭典に参列する時まずこの川で身を清め八島高原へ登山したと伝えら れます。
参考 諏訪大社さんHP
春宮の近くに万次の石仏があります。岡本太郎氏揮毫の石碑があります。
春宮からちょっと歩いたところに、田んぼの中に、高さ2メートル程の石仏がご鎮座しています。
かなり巨大なのでインパクトがあります。
言い伝えとしては、諏訪・高島藩主が下社春宮に大鳥居を奉納するため工事を依頼し、石工がこの地にあった巨石にノミを入れたところ、巨石から血が流れ出したそうです。
その石工は驚いて、石に阿弥陀如来を祀ったと伝えられています。
胴には万治3年(1660年)と刻まれており、「万治の石仏」と名づけられたとのこと。
日本版モアイともいわれています。 著名人が絶賛していたり、メディアに取り上げられていたりしたこともあって、訪れる人が増えているパワースポットです。
かなり巨大なのでインパクトがあります。
言い伝えとしては、諏訪・高島藩主が下社春宮に大鳥居を奉納するため工事を依頼し、石工がこの地にあった巨石にノミを入れたところ、巨石から血が流れ出したそうです。
その石工は驚いて、石に阿弥陀如来を祀ったと伝えられています。
胴には万治3年(1660年)と刻まれており、「万治の石仏」と名づけられたとのこと。
日本版モアイともいわれています。 著名人が絶賛していたり、メディアに取り上げられていたりしたこともあって、訪れる人が増えているパワースポットです。
参考 Travel.jpさん
今日のれお君は春霞の日の散歩のれお君です。暖かくなって朝の散歩でいつもは見えている吉備津神社が霞んで見えない日があります。
今日もれお君に会いに来ていただきありがとうございます。
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